五月の夜明け
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五月の夜明け(ごがつのよあけ、モンテネグロ語:Ој, свијетла мајска зоро (キリル文字), Oj, svijetla majska zoro (ラテン文字) )はモンテネグロの国歌である。
概要 モンテネグロ語(キリル文字): Ој, свијетла мајска зоро, 試聴 ...
モンテネグロ語(キリル文字): Ој, свијетла мајска зоро | |
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モンテネグロ語(ラテン文字): Oj, svijetla majska zoro | |
和訳例:五月の夜明け | |
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試聴 | |
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原曲は1863年に上演された音楽劇『グラホヴォの戦い』(現存せず)中の歌「Oj, junaštva svjetla zoro」(おお、勇気の明るき夜明けよ)であり、歌詞はオスマン帝国の支配を受けていない唯一のセルビア人の土地であるモンテネグロをたたえるものだった[1]。
1937年、モンテネグロの指導者であったセクラ・ドルリェヴィチは歌詞を改訂し、この曲を国歌に制定した。タイトルは「Vječna Naša Crna Goro」で、現在のものと部分的に異なっていた。
セルビア・モンテネグロ時代の2004年7月12日に現在の歌詞でモンテネグロの国歌として、国旗や国家の日とともに採用された[2]。独立したモンテネグロの憲法4条でも国歌として定められている[3]。2011年の調査では、自分をモンテネグロ人と考える人々の89%がこの国歌を好むが、自分をセルビア人とする人々は41%のみが支持した[4]。
第二次世界大戦中にイタリアの協力者であったドルリェヴィチが一部の歌詞を書いたことに対する反発から、一部の野党議員らは演奏中の起立をたびたび拒否してきた[5]。
2018年、国歌を歌うときに起立しない者に罰金を課する法改正が成立した[5]。モンテネグロの政党のうち、社会主義者民主党と社会民主党はこの法に賛成だが、民主戦線は「ドルリェヴィチの歌詞に敬意を払うことを強制するなどできない」として反対している[6]。