満洲還付条約
1902年にロシア帝国と大清帝国の間で締結された条約 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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満洲還付条約(まんしゅうかんぷじょうやく、中国語: 俄国撤兵条約)または満洲還付に関する露清条約(まんしゅうかんぷにかんするろしんじょうやく)は、1902年4月8日にロシア帝国と大清帝国の間で結ばれた条約[1]。1900年に起こった北清事変(義和団の乱)において清国に出兵したロシアが清国東北部の領土(いわゆる「満洲」)一帯を占領し、乱後も満洲に駐兵を継続したことについて、他の列強や清国から批判を受けたロシアが、満洲からの撤退を3度にわたっておこなうことなどを清国との間で取り決めた条約である。
- 満洲撤退条約(まんしゅうてったいじょうやく、満洲撤兵条約(まんしゅうてっぺいじょうやく)、満洲返還条約(まんしゅうへんかんじょうやく)などとも称する。中国では交収東三省条約(こうしゅうとうさんしょうじょうやく)と呼ぶ。