普墺戦争
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普墺戦争(ふおうせんそう、独: Deutscher Krieg)は、1866年に起こったプロイセン王国とオーストリア帝国との戦争。当初は、オーストリアを盟主とするドイツ連邦が脱退したプロイセンに宣戦するという形で開始されたが、その後ドイツ連邦内にもプロイセン側につく領邦が相次ぎ、連邦を二分しての統一主導権争いとなった。ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍がオーストリア軍に完勝し、戦争は急速に終結した。7週間戦争やプロイセン=オーストリア戦争[1]とも呼ばれる。この戦争によって、ドイツ統一はオーストリアを除外してプロイセン中心に進められることになった。
概要 普墺戦争, 時 ...
普墺戦争 | |||||||||
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ケーニヒグレーツの戦い | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
プロイセン王国 | |||||||||
指揮官 | |||||||||
ヴィルヘルム1世 ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 |
フランツ・ヨーゼフ1世 アルブレヒト・フォン・エスターライヒ=テシェン ルートヴィヒ・フォン・ベネディク | ||||||||
戦力 | |||||||||
プロイセンおよび同盟国 500,000 イタリア 300,000 | オーストリアおよび同盟国 600,000 | ||||||||
被害者数 | |||||||||
死傷 37,000(普伊) | 死傷 71,000(墺) |
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