佐倉藩
日本の江戸時代に、下総国に所在した藩 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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佐倉藩(さくらはん)は、下総国印旛郡の佐倉(現在の千葉県佐倉市周辺)に置かれた藩。徳川家康の関東入国以来、佐倉地域は江戸東方の要衝として重視され[1]、一門・譜代大名が配置された。1610年に入封した土井利勝は、近世佐倉城とその城下町(現在の佐倉市中心地区)を築いた。江戸時代前期から中期にかけては幕閣の封地となり、藩主家は頻繁に交替したが、1746年に堀田氏が再封されて定着し、廃藩置県まで続いた[2]。藩史の過半を占める堀田氏の石高はおおむね11万石で、現在の千葉県域では最大の藩であった[1]。
江戸時代前期、堀田氏の最初の在封中に藩領で佐倉惣五郎事件が発生したとされる。佐倉藩は諸藩中最も多くの老中を輩出しており、佐倉城は「老中の城」とも称される[1]。