三藩の乱
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「三監の乱」とは異なります。 |
三藩の乱(さんぱんのらん)は、清朝第4代康熙帝の1673年に起こった漢人武将による反乱[1]。雲南の呉三桂、広東の尚之信、福建の耿精忠が反乱を起こした[1][* 1]。
概要 三藩の乱, 交戦勢力 ...
三藩の乱 | |
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三藩の乱の主導者、周昭武帝呉三桂(中央) | |
戦争:三藩の乱 | |
年月日:1673年[1](康熙12年)~1681年[2](康熙20年) | |
場所:長江以南の華中・華南、陝西省、甘粛省、内モンゴル | |
結果:清の勝利(三藩・チャハル部の解体) | |
交戦勢力 | |
清 | 三藩(呉藩→呉周、耿藩、尚藩) チャハル部 鄭氏政権 |
指導者・指揮官 | |
康熙帝 | 呉三桂(平西王・昭武帝)→呉世璠(洪化帝) 耿精忠(靖南王) 尚之信(平南王) 孫延齢(中国語版) 王輔臣(中国語版) ブルニ(中国語版) 鄭経(延平王) |
損害 | |
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三藩は明滅亡後に南へ亡命した諸政権(南明)を指す事もあり、その場合は南明を前三藩[* 2]、呉三桂たちを後三藩として区別する[4]。