ヴァランセ条約
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ヴァランセ条約(ヴァランセじょうやく、英語: Treaty of Valençay)は1813年12月11日、フランス外相シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール所有のヴァランセ城(英語版)で、フランス第一帝政代表アントワーヌ=ルネ・マチュランとスペイン王国代表ホセ・ミゲル・デ・カルバハル=バルガス(英語版)の間で署名された条約。平和条約の予備として、1808年以降ヴァランセで囚われていたフェルナンド7世の復位と僭称者ジョセフ・ボナパルトの退位が定められた。
停戦の条項も含まれたが、相互不信から履行されなかった。ナポレオンはフェルナンド7世から「アーサー・ウェルズリーがスペインを対フランス戦の基地として使う場合、スペイン軍はイギリスとポルトガルと戦う」という秘密条項を引き出した[1]が、カディス・コルテス(英語版)はフェルナンド7世がマドリードに無事到着した直後にヴァランセ条約の無効を宣言した[1]。半島戦争は第六次対仏大同盟でナポレオンが敗北するまで続いた。