チャールズ・コーンウォリス
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初代コーンウォリス侯爵チャールズ・コーンウォリス(英: Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis KG, PC、1738年12月31日 - 1805年10月5日)は、イギリス軍の将軍であり、世界各地植民地の総督を務めた。アメリカ合衆国とイギリスでは、アメリカ独立戦争の時にイギリス軍を指揮した将軍の一人として強く記憶されている。
その他の同名の人物については「チャールズ・コーンウォリス (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
概要 初代コーンウォリス侯爵チャールズ・コーンウォリス Charles Cornwallis, 生誕 ...
初代コーンウォリス侯爵 チャールズ・コーンウォリス Charles Cornwallis | |
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チャールズ・コーンウォリス将軍 トマス・ゲインズバラ画 | |
生誕 |
1738年12月31日 グレートブリテン王国 イングランド、ロンドン、グロブナー・スクェア |
死没 |
1805年10月5日(66歳没) ヴァーラーナシー藩王国(英語版)、ガーズィープル |
所属組織 | イギリス陸軍 |
軍歴 | 1757年-1805年 |
最終階級 | 少将 |
戦闘 |
アイルランド反乱(1798年) |
除隊後 | インド総督、アイルランド総督 |
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1781年、ヨークタウンの戦いでアメリカ・フランス連合軍に、彼の指揮するイギリス軍が降伏したのが事実上の終戦と考えられることが多いが、実際にはその後も2年間は交戦状態が続いた[1]。このような敗北を経験したにも拘わらず、コーンウォリスはイギリス政府の信頼を繋ぎ止め、その活動的な経歴を続けた。インドでは総督を2度務め、永世統治法を定めたことでも知られる。アイルランド総督としてはカトリック解放を主張し、1798年のアイルランド反乱とフランスによるアイルランド侵略に対処した。また、イングランドとアイルランドの統合を進めた。
1753年から1762年まではブローム子爵、1762年から1792年まではコーンウォリス伯爵として知られ、その後に侯爵になった。