クリミア自治ソビエト社会主義共和国
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クリミア自治ソビエト社会主義共和国(クリミアじちソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、クリミア・タタール語: Кърым Автономиялы Совет Социалист Республикасы、ラテン表記: Qırım Muhtar Sotsialist Sovet Cumhuriyeti, 旧書体: Qrьm Avonomjalь Sotsialist Sovet Respublikasь、ロシア語: Крымская Автономная Социалистическая Советская Республика, ロシア語ラテン翻字: Krymskaya Avtonomnaya Sotsialisticheskaya Sovetskaya Respublika)またはクリミアASSRは、1921年10月18日にクリミア半島を覆うタヴリダ県の領域にソビエト・ロシアに設立された自治共和国。首都はシンフェロポリで、公式言語はクリミア・タタール語とロシア語であった。最初クリミア自治社会主義ソビエト共和国として、1936年12月5日にはソビエトの第8臨時議会で共和国はクリミア自治ソビエト社会主義共和国に変名された[1]。頭文字をとってクリミアASSRとも。
- クリミア自治ソビエト社会主義共和国
- Крымская Автономная Социалистическая Советская Республика
Кърым Автономиялы Совет Социалист Республикасы -
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←1921年 - 1945年
1991年 - 1992年→
→(国旗) (国章)
1938年のクリミア半島の地図
人口の重要な一部をクリミア・タタールが占めていたが、彼らは財産と市民権と奪われ、1944年には中央アジアへクリミア・タタール人が強制移住させられた[2]。彼らの生来の権利は1967年に復活したが、彼らの故郷への帰還はソビエト連邦の崩壊まで許されなかった。
1945年6月30日、ソビエト連邦最高議会の両常設委員会とソビエト・ロシアの最高議会の法令によって、ソビエト・ロシアのクリミア州に再編され、1954年にウクライナSSRに移管された[3]。
1991年12月26日のソ連崩壊直前、クリミア自治ソビエト社会主義共和国は1991年2月12日にヴェルホーヴナ・ラーダによって再度設立された[4]。現在は公式にクリミア自治共和国と呼ばれている。(ウクライナ側の呼称、ロシア側ではクリミア共和国と呼ばれている。)