アポロ16号
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アポロ16号はアメリカ合衆国のアポロ計画における10度目の有人宇宙飛行である。史上5度目 (2014年現在、最後から2番目) となる月面着陸を果たした。また月の高地に着陸するのはこれが初めてのことで、月面車を使用して長期間の月面滞在をする「J計画」としては2度目の飛行であった。ジョン・ヤング (John Young) 船長、チャールズ・デューク (Charles Duke) 月着陸船操縦士、ケン・マッティングリー (Ken Mattingly) 司令船操縦士の三名の宇宙飛行士を乗せたサターン5型ロケットは、1972年4月16日午後12時54分 (米東部標準時) フロリダ州ケープ・カナベラルのケネディ宇宙センターから発射され、4月27日午後2時45分 (米東部標準時) に帰還するまで、11日間と1時間51分にわたる飛行を行った[2][3][4]
アポロ16号 | |||||
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徽章 | |||||
ミッションの情報[1] | |||||
ミッション名 | アポロ16号 | ||||
司令船 |
CM-113 名称:キャスパー (Casper) 質量:30,395 kg | ||||
機械船 | SM-113 | ||||
月着陸船 |
LM-11 名称:オライオン (Orion) 質量:16,445 kg | ||||
乗員数 | 3名 | ||||
打上げ機 | サターンV SA-511 | ||||
発射台 |
ケネディ宇宙センター第39発射施設 ( アメリカ合衆国フロリダ州 ケネディ宇宙センター) | ||||
打上げ日時 |
1972年4月16日 17:54:00 UTC | ||||
月面着陸 |
1972年4月21日 02:23:35 UTC デカルト高地 南緯8度58分22.84秒 東経15度30分0.68秒 (IAUが定める月の座標) | ||||
月面船外活動時間 |
1回目: 7時間11分02秒 2回目: 7時間23分09秒 3回目: 5時間40分03秒 合計: 20時間14分14秒 | ||||
月面滞在期間 | 71時間02分13秒 | ||||
月面車 | LRV-2 | ||||
司令船活動時間 | 1時間23分42秒 | ||||
採取試料 | 95.71 kg | ||||
月周回時間 | 125時間49分32秒59 | ||||
着陸または着水日時 |
1972年4月27日 19:45:05 UTC 南緯0度43分 西経156度13分 | ||||
ミッション期間 | 11日01時間51分05秒 | ||||
乗員写真 | |||||
左から:ケン・マッティングリー、ジョン・ヤング、チャールズ・デューク | |||||
年表 | |||||
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ヤング船長とデューク飛行士は月面で71時間—ほぼ3日間—を過ごし、この間に通算で20時間と14分におよぶ三度の船外活動を行った。また使用されるのは今回で2回目となる月面車で、26.7キロメートルを走行した。両名が地球に持ち帰るために月面で95.8キログラムのサンプルを採集する一方で、マッティングリー飛行士は司令・機械船で月を周回し、月面の観測を行った。マッティングリーが軌道上で過ごした時間は126時間、月周回回数は64回であった。またヤングとデュークが軌道上で再ドッキングを果たした後、機械船からは観測用の小型衛星が放出された。地球への帰還途中、マッティングリーは機械船からフィルムのカセットを回収するために1時間の船外活動を行った[2][3]。
16号は月の高地に着陸したことにより、月の海に着陸したそれ以前の4回の飛行で集められたものよりも、地質学的に古いサンプルを集めることができた。またデカルト高地 (Descartes Highlands) およびケイリー (Cayley) クレーターで発見されたサンプルを分析した結果、その地形が火山活動によって形成されたものであるという仮説が誤りであることが証明された[5]。