ラコニア号事件
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ラコニア号事件(Laconia incident)は、第二次世界大戦中の大西洋で起こったイギリス海軍所属の軍隊輸送船ラコニア号の撃沈とその後の乗員救助の試みに関する一連の出来事である。1942年9月12日、ルドルフ・シャープ船長(Rudolph Sharp)以下、乗組員、乗客、兵員、捕虜等あわせて2,732人が搭乗していたラコニア号を西アフリカにてドイツ海軍の潜水艦U-156(英語版)が撃沈した。U-156艦長ヴェルナー・ハルテンシュタイン(英語版)少佐は昔ながらの海上捕獲法に従い、直ちにラコニア号乗員らの救助に着手するとともに、周辺海域に展開する連合国軍に対してその旨を放送した。また、間もなくして周辺に展開していた別のUボートも救援のために合流している。
ラコニア号乗員を救助中の独潜水艦U-156およびU-506 | |
日付 | 1942年9月12日 - 24日 |
---|---|
場所 | 西アフリカ沖 |
種別 | 雷撃、救難および米軍機による誤射 |
関係者 | イギリス海軍 ドイツ海軍 アメリカ陸軍航空軍 フランス国 |
結果 | ラコニア指令(英語版) |
死傷者 | |
1,619人死亡、1,113人救助 |
救助した生存者を前甲板に乗せたU-156は赤十字の旗を掲げ、ヴィシー・フランスの船舶と合流するべく浮上航行していたが、その最中にアメリカ陸軍航空軍所属のB-24爆撃機による襲撃を受けた。この時、B-24のパイロットはUボートの位置に加え、彼らが救助活動を行っていること、甲板に生存者らを載せていることを上級司令部に報告していたが、その上で攻撃を行うようにと明確な指令を改めて受けていた。B-24からの爆撃および機銃掃射によって乗員ら数十人が死亡した。また、攻撃を受けたU-156は止むを得ず潜行し、甲板にいた生存者らは海に放り出されることとなった。
救助活動は他の船舶により引き続き実施されていたが、そのうちの1隻であったU-506(英語版)も米軍作戦機による襲撃を受け潜行を余儀なくされた。最終的に1,113人が救助され、1,619人(主にイタリア人捕虜)が死亡した。
事件後、多くのドイツ海軍将兵は連合国軍船舶乗員の救助に消極的になっていった。まもなくしてドイツ海軍潜水艦隊司令長官カール・デーニッツ提督は撃沈艦の生存者救出を一切禁止するラコニア指令(英語版)を全部隊に通達し、無制限潜水艦作戦の展開へと繋がった。当時、B-24乗員やその上官らはいずれも処罰されず、また調査も行われなかった。
戦後のニュルンベルク裁判において、検察側がデーニッツおよび潜水艦隊による戦争犯罪の証拠としてラコニア指令を引用しようと試みた際、調査の過程で事件の全容が明らかになった。この事件は繰り返し書籍や映画の題材とされた。