共同統治国ボスニア・ヘルツェゴビナ
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共同統治国ボスニア・ヘルツェゴビナ(きょうどうとうちこくボスニア・ヘルツェゴビナ)は、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの領域に置かれたオーストリア帝国とハンガリー王国の共同統治地域である。オスマン帝国領だったボスニア州とヘルツェゴビナ州は、1878年のベルリン会議によってオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に置かれた。その30年後の1908年、同帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを正式に併合し(ボスニア・ヘルツェゴビナ併合)、オーストリア帝国とハンガリー王国のコンドミニアム(共同主権地域)を設立したことによってボスニア危機が発生した。しかし第一次世界大戦末の1918年10月29日、帝国の崩壊過程でスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国が形成され、この共同統治地域は事実上消滅した。
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公用語 | セルビア・クロアチア語 | ||||
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首都 | サラエボ | ||||
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通貨 | クローネ | ||||
現在 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
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- 共同統治国ボスニア・ヘルツェゴビナ
- Kondominij Bosne i Hercegovine (ボスニア語)
Кондоминијум Босна и Херцеговина (セルビア語)
Kondominij Bosna i Hercegovina (クロアチア語)
Kondominium Bosnien und Herzegowina (ドイツ語)
Bosznia-Hercegovinai Kondomínium (ハンガリー語) -
← 1878年 - 1918年 → (国旗) (国章)
オーストリア=ハンガリー(ピンクと緑で示された部分)の内ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(青で示された部分)
本項では行政権がオーストリア=ハンガリー帝国へと移った1878年から、同帝国崩壊の1918年までの40年間について記述する。