マーカス・モートン
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マーカス・モートン(英: Marcus Morton、1784年 - 1864年2月6日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州トーントン出身の弁護士、法律家、政治家である。マサチューセッツ州知事を2期務め、1825年にウィリアム・ユースティスが在職中に死んだ後は数か月間州知事代行を務めた。マサチューセッツ州最高司法裁判所の陪席判事を15年間務めた。その間民主党の州知事候補となり続けたが、当選できなかった。1839年の州知事選挙で過半数となる丁度の票を獲得し、エドワード・エヴァレットに勝ってやっと州知事に当選した。1840年と1841年の選挙でも落選したが、1842年の選挙では僅差で再選された。
概要 マーカス・モートンMarcus Morton, 第16代および第18代 マサチューセッツ州知事 ...
マーカス・モートン Marcus Morton | |
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ロバート・ゴードン・ハーディンによるモートンの肖像画、1900年 | |
第16代および第18代 マサチューセッツ州知事 | |
任期 1843年1月17日 – 1844年1月9日 | |
副知事 | ヘンリー・H・チャイルズ |
前任者 | ジョン・デイビス |
後任者 | ジョージ・N・ブリッグス |
任期 1840年1月18日 – 1841年1月7日 | |
副知事 | ジョージ・ハル |
前任者 | エドワード・エヴァレット |
後任者 | ジョン・デイビス |
代行 マサチューセッツ州知事 | |
任期 1825年2月6日 – 1825年5月26日 | |
副知事 | 兼務 |
前任者 | ウィリアム・ユースティス |
後任者 | リーヴァイ・リンカーン・ジュニア |
第12代マサチューセッツ州副知事 | |
任期 1824年5月31日 – 1825年5月26日 | |
知事 | ウィリアム・ユースティス (1824年-1825年) 兼務 (1825年) |
前任者 | リーヴァイ・リンカーン・ジュニア |
後任者 | トマス・L・ウィンスロップ |
マサチューセッツ州第10選挙区選出アメリカ合衆国下院議員 | |
任期 1817年3月4日 – 1821年3月4日 | |
前任者 | ラバン・ウィートン(英語版) |
後任者 | フランシス・ベイリーズ(英語版) |
個人情報 | |
生誕 | 1784年 マサチューセッツ州イーストフリータウン |
死没 | 1864年2月6日(1864-02-06)(79歳没) マサチューセッツ州トーントン |
政党 | 民主共和党 民主党 自由土地党 |
配偶者 | シャーロット・ホッジス |
子供 | マーカス・モートン・ジュニア ナサニエル・モートン |
専業 | 弁護士、政治家 |
署名 |
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マサチューセッツ州民主党は派閥争いが酷く、そのためにモートンは長い間負け続けることになった。しかし、短期間だった州知事の間も、その後のホイッグ党政権でモートンが任期中に法制化した変更の大半を元に戻したので、民主党が支持した改革は実らなかった。奴隷制度の拡大に対する反対者として、長年友人だったジョン・カルフーンと袂を分かち、最終的には民主党を離れて自由土地党の運動に投じた。1848年アメリカ合衆国大統領選挙では、マーティン・ヴァン・ビューレンから副大統領候補として検討されたこともあった。