マッジョーレ門
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マッジョーレ門(イタリア語: Porta Maggiore)は、イタリア ローマの古代ローマ時代の城壁であるアウレリアヌス城壁に設けられた城門である。この門は、プラエネスティーナ街道とラビカナ街道を通過させるために造られた門であったため、古代ローマ時代にはプラエネスティーナ門(ラテン語: Porta Praenestina)と呼ばれていた。
プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)の起源は、52年に第4代皇帝クラウディウスがクラウディア水道と新アニオ水道を完成させたとき、街道を横断するため造ったアーチ橋である。”自然を制覇して水道を建造した”皇帝の勝利を記念した凱旋門として、真っ白なトラバーチン(大理石の一種)で造られている。
その後、3世紀にアウレリアヌス城壁を築くとき、すでに存在したローマ水道の水道橋の構造物を最大限利用したため、この凱旋門も壁に組み込まれ「城門」となってしまったものである。
405年には西ローマ帝国初代皇帝ホノリウスが見張り台を追加し、その基礎部分の痕跡は現在も残っている。
現在、この門がマッジョーレ門と呼ばれているのは1.4km離れたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に向かう通りがこの門からまっすぐに大聖堂まで延びているからである。