キニチ・ハナーブ・パカル1世ウィキペディア フリーな encyclopedia キニチ・ハナーブ・パカル1世(K'inich Janaab' Pakal I、603年 - 683年[1][注釈 1])は、古典期後期のマヤの都市であるパレンケの王で、パレンケを大国に成長させ、また盛んに建築を行った[3]。1952年に王の墓室が発見された。 墓室から発見されたパカルの漆喰の像 パレンケには同名の支配者がもう一人いるので、「1世」をつけて呼ばれる[4]。略してパカル大王とも呼ばれる。 名前のキニチは「偉大な太陽」、ハナーブは不明、パカルは「盾」を意味する[1]。
キニチ・ハナーブ・パカル1世(K'inich Janaab' Pakal I、603年 - 683年[1][注釈 1])は、古典期後期のマヤの都市であるパレンケの王で、パレンケを大国に成長させ、また盛んに建築を行った[3]。1952年に王の墓室が発見された。 墓室から発見されたパカルの漆喰の像 パレンケには同名の支配者がもう一人いるので、「1世」をつけて呼ばれる[4]。略してパカル大王とも呼ばれる。 名前のキニチは「偉大な太陽」、ハナーブは不明、パカルは「盾」を意味する[1]。