![cover image](https://wikiwandv2-19431.kxcdn.com/_next/image?url=https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/LatinEmpire2.png/640px-LatinEmpire2.png&w=640&q=50)
アカイア公国
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アカイア公国(アカイアこうこく、 仏: Principauté d'Achaïe: Πριγκιπάτο της Αχαΐας)は、第4回十字軍参加のフランス騎士ギヨーム・ド・シャンリットによって南ギリシア・ペロポニソス半島に建国された封建国家(1205年 - 1432年)。形式上ラテン帝国、テッサロニキ王国の臣下であり、また自らの臣下として12の男爵を従えていた。正式な君主号はラテン語で「全アカイア公」(princeps totius Achaiae)。
![]() |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/71/Crus-Moreya.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/Coat_of_arms_of_the_House_of_Zaccaria.svg/320px-Coat_of_arms_of_the_House_of_Zaccaria.svg.png)
初期は建国者の一人であるジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンの一族が統治したが、その男系が断絶すると、フランス・アンジュー家の統治下に入り、以後、複雑なフランス流血族政治の網の目が張り巡らされていく一方、1262年に半島南部を獲得した東ローマ帝国との争いに揺らぎ、様々な冒険家・戦闘集団がこの地域に入り込んでいく。14世紀後半にはナバラ軍団(ナバラ王国出身の傭兵団)やイタリア系のトッコ家などいくつかの勢力に分割された。最後にジェノヴァ人貴族ザッカリア家が獲得したが、1430年にはモレアス専制公領共同統治者ソマス・パレオロゴスの手に渡り、1432年に消滅した。