500人広場
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500人広場(イタリア語: Piazza dei Cinquecento ピアッツァ・デイ・チンクエチェント)は、イタリア ローマの中心地区にある広場で、ローマ・テルミニ駅、ジョヴァンニ・ジョリッティ通り(Via Giovanni Giolitti)、マルサーラ通り(Via Marsala)とヴィッラ・ペレッティ広場(Largo di Villa Peretti)に囲まれた場所[1]である。地名の由来は1887年のドガリの戦い(英語版)で圧倒的劣勢下で戦った“500人のイタリア軍人の犠牲者”を追悼するため命名[1]された。それ以前は隣接するディオクレティアヌス浴場(Terme di Diocleziano)に因んでテルミニ広場(Piazza di Termini)と呼ばれていた。
1551年に作られた地図では、この付近は“Altissimus Romae Locus”と呼ばれており、ディオクレティアヌス帝やシクストゥス5世が作った人工の丘“Giustizia”であった[2]。1860年から1878年にかけてローマ・テルミニ駅の建設の為、この人工の丘は崩されて整地された。テルミニ駅前には500人のイタリア軍人犠牲者を追悼するため、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の敷地から発掘されたラムセス2世のオベリスクが建てられた。このことからこのオベリスクはドガリのオベリスクと呼ばれ、駅前広場は500人広場と呼ばれるようになった[3]。1924年、500人広場の改修の為、このオベリスクは共和国広場との間にある小さな公園に移設され、ディオクレティアヌス浴場に因んで“テルメ・オベリスク”(Terme Obelisk)と呼ばれるようになった。