1797年1月13日の海戦
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1797年1月13日の海戦(1797ねん1がつ13にちのかいせん、Action of 13 January 1797)は、フランス革命戦争中に行われた小規模の海戦で、フランスの戦列艦1隻と、イギリスのフリゲート艦2隻がブルターニュの沖合で交戦した。この海戦で、イギリスの2隻のフリゲート艦は、より大きな船体を持つフランス艦を巧妙に追い立て、大波が押し寄せる中この艦を座礁させた。複数の出典によると、乗艦していた1300人のうち400人から900人がこの座礁で死亡した。イギリスのフリゲート艦の1隻も、風下の浜へ逃げられなくなり、砂州に乗り上げた。
1797年1月13日の海戦 | |||||||
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フランス革命戦争中 | |||||||
座礁するドロワ・ド・ロム | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
グレートブリテン王国 | フランス共和国 | ||||||
指揮官 | |||||||
エドワード・ペリュー | ジャン=バティスト・レイモン・ド・ラクロス | ||||||
戦力 | |||||||
インディファティガブル、アマゾン | ドロワ・ド・ロム | ||||||
被害者数 | |||||||
アマゾン難破 戦死3人 負傷34人 溺死6人 アマゾンの乗員捕囚 |
ドロワ・ド・ロム難破 103人戦死 150人負傷 900人溺死 | ||||||
フランスの74門艦ドロワ・ド・ロム(英語版)はアイルランド遠征の艦隊の1隻であった。アイルランドへ派兵を目論むフランスの企みは失敗に終わった。作戦の最中、フランス軍は連携のまずさと荒天に悩まされ、最終的には、誰一人として上陸させることもできずに帰国せざるを得なかった。イギリスのフリゲート艦である44門艦インディファティガブルと36門艦アマゾン(英語版)は、帰港途中のフランス艦の妨害のため、ウェサン島の沖合の巡行を命じられていた。そして、1月13日の午後にドロワ・ド・ロムが発見された。
嵐がひどくなり、岩の多いブルターニュの海岸を絶えず目にしながらの交戦は、15時間以上が費やされた。海はかなり荒れており、交戦中フランス艦は下げ甲板(英語版)の砲門を開くことができず、結果、上甲板の大砲のみで対処した。小さなフリゲート艦に対して、大型艦は有利であるはずだが、その優越性はかなり損なわれた。小回りが利くフリゲート艦が、フランス艦に与えた損害はかなりのものであった。交戦中に風が強さを増したため、ドロワ・ド・ロムの乗員は艦の制御を取れなくなり、艦は砂州に乗り上げて大破した。