米英戦争の大西洋戦線
ウィキペディア フリーな encyclopedia
米英戦争の大西洋戦線(べいえいせんそうのたいせいようせんせん)は、アメリカ合衆国とイギリスが戦った米英戦争(1812年 - 1815年)の中でアメリカの東海岸と大西洋を戦場とした一連の戦闘である。海軍力では戦力的に劣っていたアメリカ海軍ではあったが、開戦当初は優位に立っていた。ヨーロッパから増援を派遣したイギリス軍によって次第に劣勢となり、首都のワシントンD.C.やボルティモアが攻撃されたが、最終的にイギリス軍に占領された地域はわずかなまま終戦を迎えた。
イギリスは世界でも最高の海軍力を誇ってきており、1805年のトラファルガーの海戦でフランス、スペインの連合艦隊に対する歴史的勝利によってその力が確かめられていた。1812年時点で、イギリス海軍はアメリカ付近の海域に85隻の艦船を派遣していた。これに対し、アメリカ海軍はまだ20年程の歴史しか無く、フリゲートを主力とした艦隊で就役艦も22隻に過ぎなかったが、アメリカのフリゲートの多くはイギリスのものよりも大型で強力だった。当時のイギリスのフリゲートは18ポンド砲を主体に38門を装備していたのに対し、アメリカの「コンスティチューション」、「プレジデント」、「ユナイテッド・ステーツ」の砲は44門(56門まで増強可能)であり、主体も24ポンド砲であった。これらに対抗してイギリスでも60門装備のフリゲート「リアンダー」や「ニューカースル」の建造を進めていた。
イギリスの戦略は、ハリファックスとカナダを行き来する商船の保護と、アメリカの貿易を制限するために主要なアメリカの港を封鎖することだった。アメリカは海軍力で劣っていたので、賞金目当ての捕獲であるとか、条件の良い時のみにイギリス海軍艦船を襲うなど、奇襲を掛けては逃げる戦術を採って混乱を誘った。