第1親衛戦車旅団
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M・E・カトゥコフ装甲戦車兵元帥名称第1親衛戦車チェルトコフスカヤ二重レーニン勲章・赤旗・スヴォーロフ、クトゥーゾフ及びボグダン・フメリニツキー勲章旅団(ロシア語: 1-я гвардейская танковая Чертковская дважды ордена Ленина Краснознамённая орденов Суворова, Кутузова и Богдана Хмельницкого бригада имени маршала бронетанковых войск М. Е. Катукова)、通称第1親衛戦車旅団(だい1しんえいせんしゃりょだん、ロシア語: 1-я гвардейская танковая бригада、略称1-й гв. тбр.)は、第二次世界大戦中に運用されたソビエト連邦の戦車旅団である。
概要 第1親衛戦車旅団, 創設 ...
第1親衛戦車旅団 1-я гвардейская танковая бригада | |
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創設 | 1941年8月 |
国籍 | ソビエト連邦 |
軍種 | 赤軍 |
タイプ | 旅団 |
上級部隊 | 第1戦車軍団など |
主な戦歴 | 第二次世界大戦 |
感状 | 15回 |
勲章 | |
著名な司令官 | ミハイル・カトゥコフ |
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オリョール=ブリャンスク作戦(ロシア語版)やモスクワの戦いから始まり、クルスクの戦い、ウクライナ解放、プロスクーロフ=チェルノフツィー攻勢(ロシア語版)、リヴィウ=サンドミェシュ攻勢、ヴィスワ=オーデル攻勢を経てベルリンの戦いに至るまで独ソ戦を戦い抜いた。独ソ戦を通した奮闘ぶりから、旅団自体にレーニン勲章を始めとする勲章が6個授与されている。また、旅団所属の軍人のうち29人がソ連邦英雄となっており、うち2人は二重英雄である。
戦後、第1親衛戦車旅団は第2親衛自動車化狙撃師団所属の第1親衛戦車連隊に再編され、ソビエト連邦軍の下運用された。ソ連崩壊後もしばらく運用されたが2009年6月1日に解散。現在はロシア連邦軍・第8独立親衛自動車化狙撃旅団として運用されている。