汪兆銘工作ウィキペディア フリーな encyclopedia 汪兆銘工作(おうちょうめいこうさく)は、日中戦争が続行しているなかで大日本帝国政府と、当時中華民国の中国国民党副総裁であった汪兆銘(号は精衛)との間で行われた和平工作[1]。この工作は1938年(昭和13年、民国27年)7月に極秘裏に来日した和平派の高宗武と、陸軍省軍務課長の影佐禎昭や陸軍参謀本部支那班長の今井武夫との会談を端緒としている[1]。この工作は、結果として1940年(昭和15年、民国29年)3月に汪兆銘を首班とする南京国民政府(汪兆銘政権)の成立をもたらした[1]。 高宗武
汪兆銘工作(おうちょうめいこうさく)は、日中戦争が続行しているなかで大日本帝国政府と、当時中華民国の中国国民党副総裁であった汪兆銘(号は精衛)との間で行われた和平工作[1]。この工作は1938年(昭和13年、民国27年)7月に極秘裏に来日した和平派の高宗武と、陸軍省軍務課長の影佐禎昭や陸軍参謀本部支那班長の今井武夫との会談を端緒としている[1]。この工作は、結果として1940年(昭和15年、民国29年)3月に汪兆銘を首班とする南京国民政府(汪兆銘政権)の成立をもたらした[1]。 高宗武