武田信昌
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名(戦国大名)。甲斐守護。甲斐武田氏13代。刑部大輔、従五位下。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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武田 信昌(たけだ のぶまさ)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名(戦国大名)。甲斐守護。甲斐源氏第16代当主。武田氏13代当主。武田信玄の曾祖父。
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概要 凡例武田信昌, 時代 ...
時代 | 室町時代 - 戦国時代 |
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生誕 | 文安4年(1447年) |
死没 | 永正2年9月16日(1505年10月13日) |
改名 | 伊豆千代丸[注釈 1]、信昌 |
別名 | 五郎(通称)、落合殿 |
戒名 | 永昌院殿傑山勝公大禅定門 |
墓所 | 山梨県山梨市永昌院 |
官位 | 従五位下刑部大輔 |
幕府 | 室町幕府甲斐守護 |
氏族 | 武田氏 |
父母 |
父:武田信守 母∶不明 |
妻 | 正室:穴山信介の娘 |
子 | 信縄、油川信恵、岩手縄美、松尾信賢、帰雲軒宗存、娘(小笠原清宗妻)など |
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第15代当主武田信守(弥三郎)の子。正室は河内領主穴山信介の娘(兄弟に穴山信懸)。子に信縄、油川信恵、葛山信国、岩手縄美、松尾信賢、帰雲軒宗存、娘(小笠原清宗妻)など。『寺記』によれば諸角昌清(虎定)と山梨県甲斐市竜王の有富山慈照寺開山の真翁宗見は庶子であるとされるが、真翁宗見に関しては武蔵国の岡部氏の出自であるため、誤伝であることが指摘される。通称は五郎、落合殿。官位は刑部大輔、従五位下。