木村謹治
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木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948年1月13日)は、日本のドイツ文学・ドイツ語学者、東京帝国大学教授。文学博士。
概要 木村謹治, 生誕 ...
木村謹治 | |
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生誕 |
(1889-01-02) 1889年1月2日 明治政府 秋田県南秋田郡大川村(現・五城目町) |
死没 | (1948-01-13) 1948年1月13日(59歳没) |
居住 | 日本、 ドイツ国 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | ドイツ文学、ドイツ語学 |
研究機関 | 旧制第四高等学校、文部省在外研究員、東京帝国大学ドイツ文学科 |
出身校 | 東京帝国大学 |
主な指導学生 | 粉川忠 |
主な業績 | 『獨和辭典』の刊行 |
影響を 受けた人物 | 大和田胤永、近角常観、カール・フローレンツ |
影響を 与えた人物 | 粉川忠 |
主な受賞歴 | ドイツ鷲勲章二等功労十字章 |
プロジェクト:人物伝 | |
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秋田県南秋田郡大川村(現・五城目町)出身。県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、慶應義塾普通部、第二高等学校を経て東京帝国大学独文科でカール・フローレンツに学ぶ。第四高等学校教授から、1924年東京帝国大学独文科助教授となり、1932年教授。同僚の相良守峯とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれて長く使われた。またゲーテ研究に力を注いだ。生化学者の木村雄吉は実弟、ロシア文学者木村彰一及び外交官木村敬三は息子。