普仏戦争の海戦
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北ドイツ連邦とフランスの艦艇が行った海戦は、1870年から1871年の普仏戦争における副次的な戦いであった。準備の悪さによってフランスは、 北海の海上封鎖を通じた北ドイツ連邦の経済弱体化に失敗した。同様に、自国の兵を沿岸に上陸させる前提条件も整わなかった。
海戦が実施されたのはハヴァナ(キューバ)の近海であり、北ドイツ連邦海軍(ドイツ語版)の汽走砲艦「メテオーア(英語版)」がフランス海軍の通報艦「ブーヴェ(英語版)」と交戦している。その戦いに決着はつかなかった。 さらに1870年8月22日、平甲板式コルヴェット(ドイツ語版)「ニュンフェ(ドイツ語版)」がフランスのアルマ級装甲コルヴェット(英語版)及び通報艦1隻をダンツィヒ湾で襲撃した。この夜襲で双方に損害は生じなかったが、フランス艦隊は撤退している。ドイツ連邦海軍の規模はまだ小さく、出撃はわずかであったため、それらを除く海戦に大きな意義はなかった。