日ソ国境紛争
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日ソ国境紛争(にっそこっきょうふんそう、旧字体:日蘇國境紛󠄁爭、ロシア語: Советско-Японские Пограничные Конфликты、モンゴル語: Зовлолт-Японы Хилийн Морголдоонууд、朝鮮語: 소련일본국경분쟁/蘇聯日本國境紛爭)は、1932年-1939年後半を中心に満洲で起きた、大日本帝国とソビエト連邦間の国境紛争である。形式的には満洲国とソ連、あるいはその衛星国のモンゴル人民共和国の国境が係争地のため、満ソ国境紛争や満蒙国境紛争とも呼ばれる。なお、日本およびソ連では一般に紛争にとどまるものととらえているが、モンゴルではノモンハン事件については戦争と評価している。
概要 日ソ国境紛争, 交戦勢力 ...
日ソ国境紛争 | |
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ソ連と日本の間の対立 | |
戦争:満蒙国境紛争・満ソ国境紛争とも呼ぶ。 | |
年月日:1932年3月1日-1939年9月16日 | |
場所:満洲国とソ連・モンゴル国境 | |
結果:日ソ中立条約により鎮静化 | |
交戦勢力 | |
枢軸国 | 連合国 |
指導者・指揮官 | |
植田謙吉 梅津美治郎 荻洲立兵 尾高亀蔵 小松原道太郎 |
ヴァシーリー・ブリュヘル グリゴリー・シュテルン ゲオルギー・ジューコフ ホルローギーン・チョイバルサン |
戦力 | |
張鼓峰:9,000 ノモンハン:20,000以上 |
23,000 57,000以上 |
損害 | |
張鼓峰:死傷1,400 ノモンハン:死傷18,000 |
死傷3,500 死傷26,000 |
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