利用者:Lostgeneration1022/sandbox
ウィキペディア フリーな encyclopedia
|第11回||1977年||斎藤史 『ひたくれなゐ』(不識書院) |- |第12回||1978年||前登志夫 『縄文記』(白玉書房) |- |第13回||1979年||玉城徹 『われら地上に』(不識書院) |- |rowspan="2"|第14回||rowspan="2"|1980年||生方たつゑ 『野分のやうに』(新星書房) |- |窪田章一郎『素心臘梅』
ここはLostgeneration1022さんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国是は旧オーストリア=ハンガリー帝国領の、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人が居住する地域すべてを統一することだった。しかしヴォイヴォディナ(バナト、バチュカ、バラニャを含む)のセルビア人はこれに反対して、セルビア国民会議という最高権力機関の下、ノヴィ・サドで独自の政府を樹立し、1918年11月25日にセルビア王国に合流した。この前日の1918年11月24日には、当初スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の一部であったスレムの領域もまたここから脱退し、セルビア王国に合流していた。
戦勝国となった連合国に海軍を手渡すのを避けるために、オーストリア皇帝カール1世はすべての軍港、兵器廠、海岸要塞のオーストリア=ハンガリー帝国海軍全軍および商船隊を「民族会議」に譲与し、今度はフランス、イギリス、イタリア、アメリカ合衆国、ロシア各政府に、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国がオーストリア=ハンガリー帝国と交戦しておらず、「民族会議」がオーストリア=ハンガリー帝国の全船隊を引き継いだ旨を通知する通牒を送付した。しかし、この船隊はイタリア王国海軍に攻撃され、すぐに瓦解した。
スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国は、国民評議会がセルビア王国(既にモンテネグロ王国、ヴォイヴォディナ、スレムと合流していた)に合流し、1918年12月1日にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国を樹立するまで、終始国際的に承認されることはなかった。