清露国境紛争(1652-1689)は李氏朝鮮の助勢を受けた清と、ロシア・ツァーリ国間の断続的な紛争である。ロシアはコサックを用いアムール川北部の係争地を得ようとしたものの、その試みは失敗に終わった。紛争は清軍によるコサックに築かれたアルバジンの包囲(1686)頃に最高潮を迎え、1689年のネルチンスク条約により、清が係争地を手に入れて終戦した。
概要 清露国境紛争, 時 ...
清露国境紛争[1] |
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アルバジンを包囲する清軍 |
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衝突した勢力 |
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指揮官 |
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戦力 |
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ロシア:2,000人[2] |
被害者数 |
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ロシア:800人[3] |
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