利用者:EULE/火薬陰謀事件メモ/ガイ・フォークス
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en:Guy Fawkes 20:59, 20 May 2021 / ガイ・フォークス
Guy Fawkes | |
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ウィリアム・ハリソン・エインズワース(英語版)による1840年の小説『ガイ・フォークス』で描かれたガイ・フォークスの絵(ジョージ・クルックシャンク作)。 | |
生誕 |
1570年4月13日(推定) イングランドのヨーク |
死没 |
(35歳) ロンドンのウェストミンスター |
別名 | グイド・フォークス、ジョン・ジョンソン |
職業 | 兵士 |
刑罰 | 首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑 |
親 |
Edward Fawkes (父) Edith (旧姓 BlakeまたはJackson) (母) |
有罪判決 | 大逆罪 |
逮捕日 | 1605年11月5日 |
ガイ・フォークス(Guy Fawkes、[fɔːks]、1570年4月13日 - 1606年1月31日)は、イングランド史において、プロテスタントのイングランド国王ジェームズ1世を暗殺し、カトリックの君主に挿げ替えようとした1605年の過激派カトリック教徒らによる火薬陰謀事件の主要メンバーの一人。同事件の首謀者ではないが、現代では「ガイ・フォークス」の名が火薬陰謀事件の代名詞となっており、例えば同事件の解決に由来する11月5日の記念日はガイ・フォークス・ナイトと呼ばれる。また、男を意味する「ガイ(guy)」という単語も彼に由来する。一時期はスペインの軍人としても活動し、その頃に用いていたグイド・フォークス(Guido Fawkes)の名でも知られる。
イングランドのヨークにてイングランド国教会の定例ミサに参加する敬虔なプロテスタントの家に生まれる。8歳の時に父が亡くなり、その後、母が再婚すると義父の家系の影響でカトリック教徒となり、カトリックの影響が大きい学校で少年期を過ごす。成人後はイングランド軍の兵士としてオランダ独立戦争(八十年戦争)に参加するが、指揮官のウィリアム・スタンリー(英語版)がカトリック強国で当時の大国であるスペインに部隊ごと寝返ったことで、そのまま自身もスペイン軍の兵士となる。以降はスペインのためにオランダ人政府や、フランス軍(八年戦争)と戦った。その活躍で1603年には大尉に推薦された。一方で、イングランドとスペインに和平の兆しが見えると、スペインによるカトリック解放を期待していた者たちがスペイン政府にイングランドへの侵攻を嘆願する使節団を派遣し(スペイン反逆事件)、フォークスはこの使節団にも関与していた。
1603年にイングランド王としてジェームズ1世が即位すると、多くのカトリック教徒たちはカトリックへの寛容政策を期待していたが、次第に失望に変わった。その一人である過激派のロバート・ケイツビーは貴族院(ウェストミンスター宮殿)で行われる議会開会式にて、議場を大量の火薬をもって爆破し、ジェームズ及び政府要人らをまとめて暗殺した上で、同時にミッドランズ地方(英語版)で民衆叛乱を起こし、カトリックの傀儡君主を立てることを計画した。 1604年初頭にフォークスは主要メンバーのトマス・ウィンターに誘われて、これに参加することを決め、イングランドに帰国した。1604年5月の最初の打ち合わせに参加するなど、初期から関わっていた5人の主要メンバーの一人となった。軍人としての経歴と人柄から仲間たちの信頼を得て、計画の要である火薬の管理を任された。そして、主要メンバーであるトマス・パーシーの使用人「ジョン・ジョンソン(John Johnson)」としてウェストミンスター宮殿など政府中枢の建物に潜り込んだ。
しかし、陰謀を密告する匿名の手紙に基づき、イングランド当局は計画決行日の前日である1605年11月4日の深夜にウェストミンスター宮殿の捜索を行い、貴族院の地下室にて、大量の火薬とそれを管理していたフォークスを発見し、計画は露見した。 その場で逮捕・拘束されたフォークスは数日間にわたって尋問や拷問を受け、犯行を認めるものの本名は明かさず、単独犯であることを主張し、仲間についての口は割らなかった。それでも11月7日には抵抗を諦めて本名などを明かしたが、ほぼ同日にケイツビー以下、陰謀に関わった仲間たちは拘束されるか戦闘で死亡していた。
その後の当局の取り調べでは、初期から関わりかつ生存していたトマス・ウィンターの供述と共に、その自白は重要視された。 1606年1月27日のウェストミンスター・ホールにおける裁判では起訴事実に対して無罪を主張したが、大逆罪での首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑が宣告された。 同月31日にフォークスは他の3人と共にウェストミンスターのオールド・パレス・ヤード(英語版)で処刑される手はずであったが、処刑台において自ら足場から飛び降りることで首の骨を折り自殺した。
後世においては首謀者ロバート・ケイツビーよりも著名であり、先述の通り火薬陰謀事件の代名詞的存在となっている。反体制やアナキズムのシンボルとして用いられることもあり、漫画『Vフォー・ヴェンデッタ』や、ハッカー集団アノニマスのトレードマークとしてガイ・フォークス・マスクが使用されている。