井伊直虎
日本の戦国~安土桃山時代の、出自不明の人物 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷[注釈 1]の領主。
概要 凡例井伊直虎, 時代 ...
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 不詳[1] |
死没 | 天正10年8月26日(1582年9月12日) |
改名 | 次郎法師 → 直虎 → 祐圓尼(法名:祐圓 / 祐円) |
別名 | 通称:次郎法師、渾名:女地頭 |
戒名 |
月泉祐圓禅定尼[2] 妙雲院殿月船祐円大姉[3] |
墓所 |
龍潭寺(浜松市浜名区引佐町井伊谷)[4] 妙雲寺(浜松市浜名区神宮寺町)[5][6] 宝篋印塔(浜松市浜名区引佐町井伊谷)[7] |
主君 | 今川氏真 → 徳川家康 |
氏族 | 井伊氏 |
父母 | 父:井伊直盛、母:祐椿尼(新野親矩妹) |
兄弟 | 義兄弟:直親 |
子 | 養子:直政 |
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「井伊直虎」という名の人物についての同時代史料は一通の書状しか存在しないが、通説では江戸時代中期の享保15年(1730年)に書かれた井伊氏の家伝『井伊家伝記』において、女性ながら井伊家当主になったと記載された井伊直盛の娘・次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。次郎法師は井伊直親と婚約したといわれるが生涯未婚で、直親の遺児で後の徳川四天王・井伊直政の養母と伝わる。
なお通説は上記の通りだが、直虎の出自や、直虎と次郎法師が同一人物か否かについては歴史家・研究者によって意見が分かれている(#「直虎」と「次郎法師」との関係に関する議論参照)。