ローマのクアルティエーレ
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ローマのクアルティエーレ (Quartieri di Roma) は、22あるローマのリオーネ(it:Rioni di Roma)の最後のリオーネであるプラティ (it:Prati (rione di Roma)区の設立以降に誕生した、新たに都市化された35の地域群のことである。
最初の15のそれは公式な設立と採番が1926年にされ[1]、その後1911年を最初に実施された。
1930年時点(画像参照)では、まだ非公式に設立されたクアルティエーレが他に二つあり、16番の「チッタ・ジャルディーノ・アニエーネ」 (Città Giardino Aniene) [2]、17番の「サヴォーイア」(Savoia) [3]であった。
その後、これら最後の二つは、3番目や15番目と共に制度上の決議の結果新しい名前が採用された。
15番クアルティエーレ「ミルヴィオ」 (Milvio) は、1935年「デッラ・ヴィットーリア」(Della Vittoria) になり[4]、3番クアルティエーレ「ヴィットーリオ・エマヌエーレ3」 (Vittorio Emanuele III) は1946年に「ピンチャーノ」に、17番「サヴォーイア」も同じく1946年に「トリエステ」 (Trieste) [5]に、16番「チッタ・ジャルディーノ・アニエーネ」は「モンテ・サクロ」 (Monte Sacro) [6]となった。
他のクアルティエーレは戦後市街地の拡大の結果設立された。これら「新」クアルティエーレの番号は18番から35番となる。