ロバート・フランクリン・ストラウド
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ロバート・フランクリン・ストラウド (英: Robert Franklin Stroud、1890年1月28日 - 1963年11月21日) はアメリカ合衆国で最も悪名高き犯罪者の1人と評される殺人犯[1][2][3]。レブンワース刑務所(英語版)で収監中に鳥類の飼育・販売や研究を行い、鳥類学の著述家としても評価されていることから、移送先の刑務所の名前をとって「バードマン・オブ・アルカトラズ」(英: Birdman of Alcatraz、直訳すると「アルカトラズの鳥男」) の異名でも知られる。ストラウドは1909年に投獄されて以来、釈放されることなく一生を刑務所で過ごした。その生涯を描いた1962年の映画『終身犯』 (ストラウド役はバート・ランカスター) は第35回アカデミー賞にノミネートされている。
ロバート・ストラウド | |
---|---|
1951年撮影 | |
生誕 |
(1890-01-28) 1890年1月28日 アメリカ合衆国ワシントン州シアトル |
死没 |
アメリカ合衆国ミズーリ州スプリングフィールドにある連邦刑務所収容者医療センター(英語版) |
別名 | バードマン・オブ・アルカトラズ |
職業 |
|
身長 | 191センチメートル |
罪名 | |
刑罰 |
合計54年間
|
配偶者 | デラ・メイ・スポア (英: Della May Spore) |
親 |
ベンジャミン・ストラウド エリザベス・ストラウド |
テンプレートを表示 |
その生涯であるが、アラスカ州で売春婦のポン引きをしていた18歳のストラウドは1909年1月、知人のバーテンダーを銃殺し、12年間の懲役の判決を言い渡されている。収監先でも受刑者や職員と頻繁に衝突し、1916年には看守を刺殺して第一級殺人で有罪となり、絞首刑を宣告された。しかし数回の裁判の後に、独房監禁での終身刑に減刑された。
1920年、ストラウドは収監中のレブンワース刑務所の運動場で、スズメの巣と負傷した3羽のスズメを見つけた。このスズメの世話から始め、その後数年のうちにはカナリアを約300羽飼育するにいたっている。さらに、刑務所改革を進めていた刑務所長から研究用の設備を与えられると、ストラウドは鳥類に関する研究の幅を広げ、『カナリアの病理(英語版)』("Diseases of Canaries") のタイトルで執筆した。この執筆内容は密かにレブンワースから持ち出され、1933年に初版が[4]、1943年には新版が出版された。ストラウドの研究は鳥類病理学、特に出血性敗血症疾患群の治療の分野に貢献し、鳥類学者や畜産農家の間で多大な敬意と、それなりの同情をも集めることとなった。こうしてストラウドは収監の身ながらビジネス的に成功し、しまいには独房にある設備の一部を利用してアルコールを密造するようになる。これが発覚すると刑務所の職員らは激高し、1942年12月19日にアルカトラズ連邦刑務所へ移送されることとなった。
1943年、アルカトラズでストラウドを診察した精神科医のロムニー・M・リッチー (英: Romney M. Ritchey) は、知能指数112の精神病質と診断を下している[5]。アルカトラズでは規則により鳥類の飼育を許可されず、また研究設備を奪われたことから、ストラウドは刑罰の歴史に関する執筆を行っている。
1959年、ストラウドはミズーリ州スプリングフィールドの連邦刑務所収容者医療センター(英語版)へ移送されると、1963年11月21日に死亡するまでこの地で余生を過ごした。死後はイリノイ州メトロポリスで埋葬された。著述家のカール・シファキス (英: Carl Sifakis) は、「アメリカの刑務所で自己改善と社会復帰に努めた、おそらく最も有名なケースがストラウドであろう」と評している。