ルクソール神殿
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ルクソール神殿(ルクソールしんでん、アラビア語: معبد الأقصر、英語: Luxor Temple)は、エジプトのルクソール(古代のテーベ)東岸にある古代エジプト時代の神殿である。
ルクソール神殿 | ||||||||
第1塔門とオベリスク(2011年) | ||||||||
遺跡 | ||||||||
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種類 | 神殿 (Temple) 複合体 | |||||||
所在地 | エジプト ルクソール県ルクソール(東岸) | |||||||
地図 | ||||||||
ヒエログリフ名 | ||||||||
主祭神 | アメン(アメン=カムテフ) | |||||||
歴史 | ||||||||
着工 | 第18王朝時代[1] | |||||||
増改築 | ギリシア・ローマ時代まで[1] | |||||||
古代エジプトにおいてイペト=レスィト(Ipet-resyt[2][3]「南の専用神殿」「南の後宮」)とされた神殿であり、アメン(アメン=カムテフ〈「自らの母親の雄牛なるアメン」〉[4])に捧げられたアメン=カムテフ神殿であった[5]。カムテフ(ドイツ語版)(「自らの母親の雄牛」)は、アメンと豊饒神ミンが習合した神の形容辞(形容語句)として新王国時代(紀元前1550-1069年[6])以降に使われた[7]。この神はアメンエムオペ(「オペトのアメン」)とも称され、神殿は「南のオペト(隔絶された場所)」とされた[8]。
新王国(第18王朝-第20王朝)時代には毎年、アケト(フランス語版)(氾濫季)の第2月にオペト祭(英語版)が約2-4週間にわたり行なわれ、カルナックのアメン大神殿より大神アメン(アメン=ラー)の神像がムト、コンスを伴い、儀式用の聖舟(バーク)に乗り、三柱神(英語版)は2キロメートル余り (3km〈2mi〉[3]) 離れた南端のルクソールの神殿を往復した[9]。
ルクソール神殿とカルナックのアメン大神殿とはスフィンクス参道(英語版)(ドロモス(フランス語版)[10])で結ばれていた。神殿入口となる第1塔門の前には1対のラムセス2世の座像(倚像、いぞう)、手前にはオベリスク(高さ25.00m[11])が1本立っている[5]。ルクソールのオベリスク(英語版)は本来左右2本あったが、右側の1本(高さ22.55m[11])は1819年[5]、フランスに贈られてパリに運ばれ、現在コンコルド広場にある[12]。