ルイブールの戦い (1745年)
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1745年のルイブールの戦い(1745ねんのルイブールのたたかい、英Siege of Louisbourg (1745))は、ジョージ王戦争中の戦闘で、イギリスの支配下にあったノバスコシアの奪還をフランスが企て、アナポリスロイヤルを包囲したため、イギリス領であったニューイングランドの民兵が中心となって、ロワイヤル島(現在のケープ・ブレトン島)のフランスの砦であるルイブールに攻め入ったものである。この戦闘でニューイングランド軍は、フランス側の砲台を奪って勝利したが、戦後のアーヘンの和約で、ルイブールはフランスに返還されることになった。ニューイングランドの行政官はこれに怒り、また、守備を強化する意味から、ノバスコシアにハリファックスを建設した。
概要 時, 場所 ...
ルイブールの戦い (1745年) | |||||||
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ジョージ王戦争中 | |||||||
ルイブールの戦い ピーター・モナミー作 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
イギリス領アメリカ植民地 グレートブリテン王国 |
フランス王国 ミクマク族 | ||||||
指揮官 | |||||||
ウィリアム・ペッパーレル ピーター・ウォーレン |
ルイ・デュポン・デュシャンボン ピエール・モルパン | ||||||
戦力 | |||||||
民兵、水兵、海兵4200 軍艦90 |
正規兵、水兵900 民兵900 | ||||||
被害者数 | |||||||
死傷100 戦病死900 |
死傷50 戦病死300 降伏1400 | ||||||
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