モコドームの襲撃
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モコドームの襲撃(Attack at Mocodome)は、ル・ルートル神父戦争時の1753年2月21日に起こった襲撃で、2人のイギリス人と6人のミクマク族が犠牲となった。モコドームは現在のノバスコシア州カントリーハーバーで、スティーヴン・パターソンによれば、この襲撃はカントリーハーバーとトール湾の間で起こったとされており[1]、ルース・ホワイトヘッドによれば、襲撃が起こったのは、トーベイの西にあるマーティンゴの小さな港、またはモコドーム港となっている[2]。
概要 モコドームの襲撃, 時 ...
モコドームの襲撃 | |||||||
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ル・ルートル神父戦争中 | |||||||
ノバスコシア総督ペレグリン・トーマス・ホプソン | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ミクマク族 | イギリス領北アメリカ | ||||||
被害者数 | |||||||
6人のミクマク族が殺害 | 2人戦死、2人捕囚 | ||||||
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ビーミッシュ・マードックは、モコドームは現在のカントリーハーバーであると定義している[3]。この襲撃に関しては、英仏それぞれに証言が異なり、イギリス側は、この事件にかかわったイギリス人を非難しており、一方ミクマク族はイギリス人全般を非難している。にもかかわらずこの戦闘は、1752年の、イギリス人と族長のジャン=バティスト・コープの署名による平和条約の存続の希望をも断ち切ってしまった。