ベルモントの戦い
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ベルモントの戦い(ベルモントのたたかい、英: Battle of Belmont)は、南北戦争の序盤、1861年11月7日にミズーリ州ミシシッピ郡で行われた戦闘である。北軍の准将、後に総司令官となり、最後はアメリカ合衆国大統領にもなったユリシーズ・グラントにとって西部戦線で最初の試金石となる戦闘であった。
概要 ベルモントの戦い Battle of Belmont, 時 ...
ベルモントの戦い Battle of Belmont | |||||||
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南北戦争中 | |||||||
ベルモントの戦場、チャールストンの防御 by Julius Bien & Co., Lith., N.Y. | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
ユリシーズ・グラント | ギデオン・J・ピロー | ||||||
戦力 | |||||||
3,114 | ~ 5,000 | ||||||
被害者数 | |||||||
607(戦死120、負傷383、捕虜または不明104) | 641(戦死105、負傷419、捕虜または不明117) |
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11月6日、グラントはイリノイ州カイロから船でケンタッキー州コロンバスにある南軍の要塞攻撃に向かった。翌朝、南軍はミシシッピ川を渡ってミズーリ州ベルモントにいることが分かった。グラントは部隊をミズーリ州側に上陸させて、ベルモントに向けて行軍させた。グラント軍は南軍キャンプを占領して破壊した。しかし、散り散りになっていた南軍が直ぐに再編されコロンバスから援軍も到着した。南軍は対岸からの激しい砲撃にも支えられて反撃した。グラントは部隊を川舟まで後退させ、ケンタッキー州パデューカまで移動した。この戦闘の規模は小さかったが、当時他の場所では戦争の進展が無く、新聞で大いに注目された。