ヘンリー・パジェット (初代アングルシー侯爵)
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初代アングルシー侯爵ヘンリー・ウィリアム・パジェット(英語: Henry William Paget, 1st Marquess of Anglesey KG GCB GCH PC[注釈 1]、1768年5月17日 – 1854年4月29日)は、イギリスの貴族、陸軍軍人、政治家。騎兵隊長として1799年のオランダ遠征(英語版)、半島戦争の1808年戦役、1815年の第7次対仏大同盟戦争に参戦、ワーテルローの戦いで戦功をあげつつ右足を失い、以降義足を使用した[2]。以降は政治家に転身、兵站総監(英語版)(在任:1827年 – 1828年、1846年 – 1852年)、アイルランド総督(在任:1828年 – 1829年、1830年 – 1833年)を歴任した[1]。アイルランド総督としてはウェリントン公爵内閣と異なりカトリック解放を支持したため、1829年に召還された[3]。2度目の任命ではダニエル・オコンネルの合同法廃止運動(英語版)が主な課題だった[4]。軍人としての最終階級は陸軍元帥(1846年)。