プラスキ砦の戦い
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プラスキ砦の戦い(英: Battle of Fort Pulaski)は、南北戦争中のジョージア州サバンナに近いタイビー島の北軍陸軍と海軍の戦隊が、南軍の保持していたプラスキ砦を112日間包囲した後、開戦からほぼ丸1年が経った1862年4月10日から11日に30時間の砲撃を行った後に砦を占領した。この戦闘は、既存の海岸防御地を無用にした革新的パロット砲を使ったことで重要である。北軍は砲火の下で大規模な水陸共同作戦を展開した。
概要 プラスキ砦の戦い Battle of Fort Pulaski, 時 ...
プラスキ砦の戦い Battle of Fort Pulaski | |||||||
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南北戦争中 | |||||||
砲火を浴びるプラスキ砦、1862年4月10日-11日、北軍の革新的なパロット砲と信管破裂弾の効果が見られる[1] | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
サミュエル・デュポン(海軍) デイビッド・ハンター(陸軍) クインシー・A・ギルモア(包囲軍) |
ロバート・E・リー(陸軍) ジョサイア・タットノール(海軍) チャールズ・H・オルムステッド(砦守備隊) | ||||||
部隊 | |||||||
南部方面軍 将兵合計10,000名 各種口径の大砲36門 パロット砲5門、ジェイムズ砲3門[3] |
サウスカロライナ・ジョージア・フロリダ方面軍 将兵合計385名 各種口径の大砲48門 ブレイクリー砲2門[6] | ||||||
被害者数 | |||||||
戦死1名 負傷数名 |
致命傷数名 捕虜363名 |
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プラスキ砦の降伏により、港としてのサバンナは戦略的に閉鎖された。北軍は海上封鎖を拡大し、大西洋岸を南への航行を可能にし、陸兵1万名の大半を再配置した。南軍の陸軍と海軍の守備隊は北軍の前進を3か月以上止め、サバンナ市を守り、この戦争の間、北軍の海からの侵攻を止めた。海岸部鉄道の接続は、封鎖されていたサウスカロライナ州チャールストンまで延伸された。
プラスキ砦はジョージア州のサバンナ川の河口に近いコックスパー島にある。サバンナ市に海から入る水路を監視していた。サバンナは綿花を輸出する港として、鉄道の中心として、また州の工廠や民間造船所など州最大の工業地帯として商業的にも工業的にも重要だった[7]。砦の背後のサバンナ川に、南の2つの入り江が導いていた。プラスキ砦のすぐ東、ヒルトンヘッド島が見える所に、灯台のあるタイビー島があった。