フエロ
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フエロ(スペイン語: Fuero, スペイン語: [ˈfweɾo], 複数形はフエロスバスク語: Fueros)は、中世から19世紀のスペインにおいて、習慣や慣習に由来する社会的慣行が法的価値を持つようになった規範、または国王などの統治者が所与の領域を治めるに際して当該領域やその住民に譲与した特権のこと[1][2]。ブルボン朝以後のフエロは後者を指した[1]。日本語では地方特権、地方特殊法、地方特別法、地域特別法などと訳されるが[3]、訳語は定まっていない。ラテン語のフォルム(forum)[4]に由来し、カタルーニャ語ではフル(Fur, カタルーニャ語: [ˈfur])、ガリシア語ではフォロ(Foro, ガリシア語: [ˈfɔɾo])、バスク語ではフォル(Foru, バスク語: [foɾu])と呼ばれる。
カスティーリャ王国・スペイン帝国においてはほとんどの町や共同体がフエロの諸特権を享受し、国王の受け入れがたい行動や命令に抗うための地方の防御策がフエロだった[5]。フエロの維持はカスティーリャ王国・スペイン帝国の安定や一体化に重要な役割を果たしており、1707年にスペイン帝国がアラゴン王国とバレンシア王国のフエロを廃止した際には、スペイン帝国内部のアラゴン連合王国諸国とつながりの深い貴族集団から抗議の声が上がったほどだった[6]。特にバスク地方のフエロが有名であるため、ここではバスク地方のフエロについて述べる。バスク地方のフエロは中世後期以後に編纂され、15世紀から17世紀にかけて法典化されたが[1]、第一次カルリスタ戦争後の1839年に縮小され、第三次カルリスタ戦争後の1876年に撤廃された[7]。