ピューリタン
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ピューリタン(英語: Puritan)または、その日本語訳として清教徒(せいきょうと)は16世紀から17世紀にかけてイングランド王国で活動した改革派プロテスタントの総称。ローマ・カトリックの影響を取り除こうとしたエリザベス1世の宗教改革が不十分だとして、国教会のさらなる改革を訴える形で登場し、時に大きな社会運動を伴ったために、イギリスと初期アメリカの歴史(特に護国卿時代)に大きな影響を与えた。彼らの思想や行動原理はピューリタニズム(英語: Puritanism、清教主義)と呼ばれる。名称は清潔、潔白などを表す「Purity」に由来し、転じて頑固者や潔癖者を意味するなど、本来は蔑称であった。
16世紀、キリスト教は北ヨーロッパを中心にマルティン・ルターやジャン・カルヴァンらによってローマ・カトリックへの反発から宗教改革が始まり、カトリック(旧教)から分離したプロテスタント(新教)が登場した。同時期、イングランドでも、ヘンリー8世及びエリザベス1世が、同国へのローマ・カトリック(ローマ教皇)の影響力を取り除くために宗教改革に乗り出し、国王を首長と認めるイングランド国教会を成立させた。イングランドの宗教改革は同じくプロテスタントと呼ばれるものの、動機が純粋に政治的なものであったことから、国教会の教義や典礼はカトリックに近く、宗教的観点から大陸の改革派教会の在り方を望ましいと考える者たちにとっては不満のあるものであった。彼らは大陸のプロテスタントらと同じような、教義がより純化した改革を求めて行動を始めた。この者たちを総称してピューリタンと呼ぶようになった。
ピューリタンの中でも求める改革の強度によって諸派に分かれた。大きくは国教会内部からの改革を目指した長老派と分離も辞さなかった分離派、その分離派の流れを汲む独立派に分かれる。長老派は初期のピューリタンの主要勢力で国教会改革を進め、分離派は初期アメリカ入植者としてニューイングランドの形成に大きな影響を与え、独立派は清教徒革命(1642年-1649年)を経て力を持ち、王政を廃してイングランド共和国(1649年-1660年)を成立させた。さらにここから、教義や望ましいと考える教会統治制度によって会衆派やバプテスト派などに分かれていく。
ただ、もともとプロテスタント内でも明確に定義づけられた言葉ではなかったこともあり、18世紀以降は特にピューリタンという言葉は用いられなくなった。特にイギリス史上では王政復古(1660年)以降に国教会に大部分を吸収され、単一の政治勢力としてのピューリタンはいなくなった。さらに名誉革命(1689年)以降は、国教会以外のプロテスタント教派も認められたことによって、彼らはピューリタンから派生した諸教派(長老派や会衆派、バプテスト派など)の具体的な信徒として認識・呼称されることになる。