パルテノペア共和国
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パルテノペア共和国(パルテノペアきょうわこく、パルテノペーア共和国[1]とも、イタリア語: Repubblica Partenopea)は、1799年にイタリアのナポリを中心とした地域に成立していた共和国である。ナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍によりナポリ王国が打倒されたあとに樹立された。実質はフランスの侵略で衛星国だった。まもなくナポリ政府(王国)側の反撃により滅亡した。主権を回復したナポリ政府は革命派を多数処刑した(1799年に処刑されたナポリの共和主義者のリスト(イタリア語版))。
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公用語 | 中央イタリア方言、ナポリ語 | ||||||||
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首都 | ナポリ | ||||||||
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現在 | イタリア |
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国名はナポリの古名のパルテノペにちなむ。いわゆる姉妹共和国のひとつ。