ドゥーン城
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ドゥーン城(ドゥーンじょう、英: Doune Castle)は、スコットランド中心部・スターリングの村、ドゥーン(英語版)にある中世の要塞である。城はアードッホ川(英語版)がティース川(英語版)へ流れ込む、樹木に覆われた曲がり角にある。スターリングから北西に8マイル (13 km)の場所では、ティース川がフォース川に流れ込む[注 1]。さらに北西へ8マイル (13 km)進んだ上流地点には、トロサックス(英語版)の岸沿いに、ハイランド地方境界に当たる町カランダー(英語版)がある。
ドゥーン城 Doune Castle | |
---|---|
スコットランド スターリング、ドゥーン(英語版) UK grid reference NN727010 | |
座標 | 北緯56度11分07秒 西経4度03分01秒 |
種類 | 中庭付きの城砦 (Tower house) |
地上高 | 領主塔頂点まで29メートル (95 ft) |
施設情報 | |
所有者 | ヒストリック・スコットランド(英語版) |
管理者 | オールバニ公爵(1420年まで) スコットランド王(17世紀まで) マリー伯爵 |
一般公開 | 一般公開中 |
現況 | 荒廃 |
歴史 | |
建設 | 1400年頃 |
建設者 | オールバニ公爵ロバート・ステュアート (オールバニ公爵) |
建築資材 | 石造り(大部分は粗石積み、隅には飾り石) |
近年の調査によって、ドゥーン城は13世紀頃に建てられ、スコットランド独立戦争時に損傷を受けたこと[1]、その後14世紀終わり頃に、オールバニ公爵ロバート・ステュアート(1340年頃 - 1420年)によって現在の形に建て直されたことが分かった。オールバニ公爵はスコットランド王ロバート2世の息子で、1388年から死去までスコットランドの摂政を務めていた。彼の建てた要塞がほとんど改築されずに完璧なまま残されていたため、従来は城全体がオールバニ公爵による建築で完成されたと考えられていた[2]。実際のところ、石造りの建築はほとんどが14世紀遅くに作られたものだが、一部1580年代に軽微な修理が行われた部分がある。城は1425年にオールバニ公爵の息子が処刑されたのを機に王へ譲り渡され、王立の狩猟用別邸(英語版)や寡婦用住宅(英語版)として使われていた。16世紀遅くには、ドゥーン城はマリー伯爵家の所有となる。城は17世紀半ばの清教徒革命 (en) やグレンケルンの乱(英語版)、17世紀後期から18世紀にかけてのジャコバイトの乱 (en) などを目の当たりにしている。1800年までには城は破壊されたが、1880年代に城の修復事業が始まった。この修復では、板材の屋根や、室内の床面、家具類などが交換されている。20世紀に入ってからも修復事業は行われ、現在城はヒストリック・スコットランド(英語版)によって管理されている。
建築者がオールバニ公爵だったことから、ドゥーン城は当時王家が建てていた城の建築様式を反映した造りになっている[3]。建物の各辺に合わせた長さの中庭が作られる予定だったが、北側・北西側の部分しか完成していない[4]。エントランス上には大きなタワー・ハウス(英語版)が作られ、領主とその家族の部屋があるほか、キッチンやゲスト・ルームを含んだ別の塔も建てられている。この2つは大広間を介して繋がっている。
現在城はカテゴリAの指定文化財(英: Category A listed building) (Listed building) となっているほか、英国の "Scheduled monument" (en) にも指定されている。
『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』をはじめとした映画・ドラマのロケ地としても有名である(→#フィクションやドラマでの使用)。