テルミドール9日のクーデター
ウィキペディア フリーな encyclopedia
テルミドール9日のクーデター (テルミドールここのかのクーデター、Coup d'état du 9 Thermidor) は、1794年7月27日(フランス革命暦II年テルミドール9日)に起きた、フランス革命を主導していたマクシミリアン・ロベスピエールが率いる山岳派(ジャコバン派)独裁に対立する勢力によるクーデターである。「テルミドール9日のクーデタ」、「テルミドールのクーデター」とも呼ばれ、フランス語版では「ロベスピエールの失脚」(La chute de Robespierre)」と呼ばれる
概要 場所, 標的 ...
テルミドール9日のクーデター | |
---|---|
マクシミリアン・ロベスピエールの逮捕(ジャン=ジョゼフ=フランソワ・タサール作) | |
場所 | フランス共和国 パリ |
標的 | マクシミリアン・ロベスピエールらロベスピエール派 |
日付 | 1794年7月27日 |
概要 | ロベスピエール派に対するクーデター。 |
死亡者 |
マクシミリアン・ロベスピエール ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト他 |
犯人 |
ジョゼフ・フーシェ ポール・バラス ジャン=ランベール・タリアン他 |
テンプレートを表示 |
閉じる
これによりロベスピエールとその同志であるルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト、ジョルジュ・クートン、フィリップ=フランソワ=ジョゼフ・ル・バ(英語版)らが失脚し、処刑者や自殺者が出た。
テルミドール反動とも呼ばれる。
テルミドールとは、革命時制定されたフランス革命暦で「熱月」を意味する。この事件により実質的に一連のフランス革命は終焉したとされ、市民革命は終わりを告げた。また、革命暦は後にナポレオン・ボナパルトにより廃止された。