タール羽の刑(タールばねのけい、英: Tarring and feathering)は近世ヨーロッパや、その植民地、初期アメリカの開拓地で行われていた私刑で、拷問および刑罰(晒し刑)の一種。主として暴徒たちが報復のために用いた。
第一次世界大戦中の1918年8月にミネソタ州ルバーンで、戦時公債運動を支持しなかったという理由でタール羽の刑を受けたドイツ系アメリカ人農夫ジョン・マインツの写真
[1]。
私刑の対象となった者を、全裸または上半身裸にして身体を固定し、その身体に(まだ熱い状態の場合もある)木タールを掛けたり、塗り込む。そして、タールの部分に羽毛の束を投げつけたり、羽毛の山に寝転がせることで、タール部分に多量の羽毛を付着させ、その姿で晒し者にする、というものである。
タールと羽毛をつけたアウトロー(無法者)のイメージは、現在でも世間からの批判が厳しいことの比喩として扱われる[2]。