タマラ・ド・レンピッカ
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タマラ・ド・レンピッカ(フランス語: Tamara de Lempicka、ポーランド語の読みはタマラ・デ・ウェンピツカ[1]、1898年(1895年説や1897年もある[2])5月16日 - 1980年3月18日)はロシア帝国支配下のワルシャワ生まれ[3]のアール・デコの画家。
概要 タマラ・ド・レンピッカ Tamara de Lempicka, 本名 ...
タマラ・ド・レンピッカ Tamara de Lempicka | |
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タマラ・ド・レンピッカの胸像(ブロンズ製、ポーランド・キェルツェ) | |
本名 | マリア・グルスカ |
誕生日 | 1898年5月16日 |
出生地 | ロシア帝国ヴィスワ地方(英語版)ワルシャワ |
死没年 | (1980-03-18) 1980年3月18日(81歳没) |
死没地 | メキシコクエルナバカ |
国籍 | ポーランド |
運動・動向 | アール・デコ |
芸術分野 | 絵画 |
教育 | グランド・ショミエール芸術学校 |
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タマラは本名ではなく、マリア・グルスカ(ポーランド語: Maria Górska)が出生名であったとする説がある[4][5]。結婚後の姓であるウェンピツカ[6](ポーランド語: Łempicka )は、ポーランド国外では "Lempicka" と表記されることが多い。