ズィーリー朝は、イベリア半島南部に位置するグラナダを首都としたイスラム教徒によるタイファ(小王国)の王朝(1013年 - 1091年)。コルドバを首都としていた後ウマイヤ朝が衰えた後、ズィール朝の一族が1013年にグラナダを中心として、当時のアル・アンダルス地方にてグラナダ王国(Taifa de Granada)を形成し、タイファ諸国の1つとなった。
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首都 |
グラナダ |
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元首等
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1073年 - 1090年 | アブダラ・イブン・ブルギン(最後) |
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