スレイマン・シャー霊廟
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スレイマン・シャー霊廟(スレイマン・シャーれいびょう、アラビア語: ضريح سليمان شاه、トルコ語: Süleyman Şah Türbesi)は、オスマン帝国の開祖オスマン1世の祖父、スレイマン・シャーの遺体を納めたとされる霊廟である。
概要 スレイマン・シャー霊廟 Süleyman Şah Türbesi, 国 ...
スレイマン・シャー霊廟 Süleyman Şah Türbesi | |
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ユーフラテス川から見たスレイマン・シャー霊廟の建物群(2代目の所在地、1973年〜2015年2月) | |
座標:北緯36度52分45秒 東経38度6分20秒 | |
国 |
シリア (地理的な所在地) トルコ (領有) |
自治体 | アレッポ県 |
標高 | 475 m |
等時帯 | UTC+2 (EET) |
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1236年、現在のシリア・ラッカ県のジャベル・カレスィ(英語版)の近くに最初の墓が作られ、1973年までその場所にあった。1923年の、旧オスマン帝国領をトルコ、シリアなどに分割するローザンヌ条約において、この霊廟がある場所はシリア領とされたが、霊廟自体はトルコのものであると規定された。1973年、シリアがユーフラテス川に建設したタブカ・ダム(英語版)によってジャベル・カレスィ周辺がアサド湖(英語版)に沈むことになり、この霊廟は、シリアとトルコの合意によりユーフラテス川を北に85キロメートル溯った、シリア領内のトルコとの国境(英語版)から27キロメートルの位置に移転された。
2011年から発生したシリア内戦に伴い、2015年、トルコ政府はこの霊廟をトルコ国境に隣接した、コバニの西22キロメートルのシリア領内にシリアの合意を得ずに移転し[1]、霊廟を守備する約40人のトルコの兵士を避難させた[2]。トルコ政府は、この移転は一時的なものであり[3]、恒久的なものではないと表明している[4][5]。