スウェーデンのブランデンブルク侵攻 (1674年-1675年)
ウィキペディア フリーな encyclopedia
スウェーデンのブランデンブルク侵攻(独: Schwedeneinfall、「スウェーデン人の襲来」)は、スウェーデン領ポメラニアから来たスウェーデン軍が1674年12月26日から1675年6月末まで、軍事的に無防備であったブランデンブルク辺境伯領を占領した事態である。このスウェーデン軍の侵攻はスウェーデン・ブランデンブルク戦争及びブランデンブルクと同盟していたヨーロッパ諸国からのさらなる宣戦布告を誘発し、北欧の紛争に発展し、1679年にようやく終息を迎えた。
年表 1674年
1675年
|
スウェーデン軍の侵攻を招いたのは、オランダ戦争に伴いブランデンブルク軍20,000名が、フランスに対する帝国戦争(英語版)へ参戦した事態であった。これに応じてフランスの伝統的な同盟国であったスウェーデンは、ブランデンブルク選帝侯に対仏講和を強いるという目的を宣言し、軍事的に無防備な辺境伯領を占領したのである。1675年6月初頭、ようやく選帝侯は15,000名の軍を率いてシュヴァインフルトを出発し、ユリウス暦6月11日(グレゴリオ暦6月21日。以降の日付はグレゴリオ暦。)にマクデブルクに到着した。そして選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムは、10日足らずの遠征をもってスウェーデン軍にブランデンブルク辺境伯領からの撤退を強いたのである。