ジューンティーンス
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「ジューンティーンス」(英語: Juneteenth)(「6月」(June)と「19日」(nineteenth)の混成語であり[3]、「自由の日」(Freedom Day)[4]、「歓喜の日」(Jubilee Day)[5]、「解放の日」(Liberation Day)[6]としても知られる)は、アメリカ合衆国で奴隷身分であった人々の解放を祝う、連邦政府の祝日(ジューンティーンス独立記念日、Juneteenth National Independence Day)である[7][8]。テキサス州に端を発し、現在はアメリカ全土で6月19日に祝われる。特に、北部合衆国(英語版)軍(北軍)のゴードン・グレンジャー将軍がテキサス州ガルヴェストンにおいて1865年6月19日に、それまでにテキサス州で奴隷身分とされてきた全ての人々は自由であるとする連邦政府からの命令(英語版)を発令させたことを記念するものである[9]。
ジューンティーンス Juneteenth | |
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別名 | 自由の日(Freedom Day), 歓喜の日(Jubilee Day), 解放の日(Liberation Day), 解放宣言の日(Emancipation Day)(テキサス州で), 奴隷解放記念日 |
挙行者 | アメリカ人 |
種類 | 歴史 |
趣旨 | アメリカ連合国で奴隷身分のままであったアフリカ系アメリカ人の解放宣言 |
日付 | 6月19日 |
行事 | アフリカ系アメリカ人の歴史と発展 |
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エイブラハム・リンカーン大統領の奴隷解放宣言は公式には、ほぼ2年半前にテキサスやその他の合衆国に反乱を起こした州における奴隷制を非合法化していた。テキサスは奴隷制維持州の中で最も遠隔に位置し、アメリカ南北戦争が終結した後も北部合衆国軍の存在感は希薄であり、従ってグレンジャーの告知以前には、当地での施行は緩慢で、また一貫していなかった[9]。ジューンティーンスは広範に、アメリカにおける奴隷制の終焉を祝うものと考えられているにせよ、2境界州ではなお合法で実施されており、1865年12月6日に至ってアメリカ合衆国憲法修正第13条が批准され、刑事罰としての労働(英語版)ではない奴隷制が全国で廃止された[10][11][12][注釈 1]。
祝祭は1866年に端を発し、当初はテキサス州における教会を中心とした共同体の集まりに関わるものであった。アメリカ南部に広がり、1920年代や1930年代には営利化の様相を強め、その中核はしばしば食の祭典であった。1960年代の公民権運動期には、戦後の公民権を巡る苦闘の前に後景に退いたものの、1970年代にはアフリカ系アメリカ人の自由や芸術に焦点を合わせて、再び人気を得た[13]。21世紀にはジューンティーンスは、アメリカ中のほとんどの大都市で祝われていた。オーパル・リーら活動家たちはアメリカ合衆国議会へ、ジューンティーンスを国の祝日として認定するよう働きかけ、2021年6月17日にジューンティーンスを11番目の連邦の祝日(英語版)とする法律が成立した[14]。また、2022年2月のサウス・ダコタ州における法案成立により[15][16]、ジューンティーンスはアメリカの全ての州とコロンビア特別区とで祝日あるいは式典日として認定された[17][18]。2021年の段階ではテキサス、ニューヨーク、ヴァージニア、ワシントン、イリノイの各州がジューンティーンスを州職員のための公式有給休暇日として認定している[19]。
現在の行事は主として地域の祝祭である。奴隷解放宣言の読み上げ、「静かに揺れよ、懐かしのチャリオット(英語版)」[20]や「すべての声をあげ歌え(英語版)」といった伝統的な曲(霊歌)の歌唱、ラルフ・エリスンやマヤ・アンジェロウといった著名なアフリカ系アメリカ人作家の著作の読み上げといった慣例が含まれる。祝典にはロデオ競技会、街頭市(英語版)、野外料理パーティー、家族の再会団欒、公園パーティー、歴史の再演、ミス・ジューンティーンス選出コンテストが含まれる。ブラック・セミノールの末裔であるマスコゴス(英語版)は、メキシコのコアウイラ州でやはりジューンティーンスを祝っている。