ジャライ王国
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ジャライ王国(Ala Car P'tao Degar、ベトナム語:Tiểu quốc J'rai)はベトナムタイグエン(中部高原)にジャライ族やエデ族が建立した、一連の政権。ベトナムの史料では南蟠(ベトナム語:Nam Bàn / 南蟠、ナムバン)と呼ばれた。
ジャライ王国はもともとチャンパ(占城)の一部分であった。1471年にベトナムの黎聖宗がチャンパを滅ぼすと、チャンパの残存勢力は三カ国に分裂した。チャム族はパーンドゥランガ朝(賓童龍/Panduranga)に、エデ族はカウタラ朝(Kauthara/कौथर、華英/Hoa-anh、慶和/Khánh-hòa、古笪羅/Cổ-đát-la)に、そしてまたジャライ族は南蟠を建国し、これらはいずれもチャンパ連合的に構成した。黎聖宗は石碑山より西をチャンパの子孫に分け与え、南蟠国に封じた。
ジャライ王国は現在のジャライ省やコントゥム省・ダクラク省に位置した。その中でも二つの最大勢力は、北部に存在した水舎と火舎であった。ジャライ王国は19世紀に消滅した。