ジェイムズ・ロングエーカー
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ジェイムズ・バートン・ロングエーカー(英: James Barton Longacre、1794年8月11日 - 1869年1月1日)は、アメリカ合衆国の肖像画家、彫刻師であり、1844年からその死の時までアメリカ合衆国造幣局の第4代彫師主任だった。1859年に流通し始めたインディアンの顔・1セント貨をデザインしたことで良く知られており、他にも19世紀半ばに流通した盾文様ニッケル・5セント貨や、飛ぶ鷲文様・1セント貨などのデザインを担当した。
ジェイムズ・バートン・ロングエーカー James Barton Longacre | |
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アメリカ造幣局第4代彫師主任 | |
任期 1844年9月16日 – 1869年1月1日 | |
大統領 | |
前任者 | クリスチャン・ゴブレヒト |
後任者 | ウィリアム・バーバー |
個人情報 | |
生誕 | (1794-08-11) 1794年8月11日 ペンシルベニア州デラウェア郡 |
死没 | 1869年1月1日(1869-01-01)(74歳) ペンシルベニア州フィラデルフィア |
墓地 | フィラデルフィア市ウッドランズ墓地 |
国籍 | アメリカ |
配偶者 | エリザベス・スタイルズ(1827年結婚、1850年死別) |
子供 |
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ロングエーカーは1794年にペンシルベニア州デラウェア郡で生まれた。12歳の時にフィラデルフィアに出て行き、本屋の徒弟になった。その芸術的才能が開花し、版画の会社で徒弟から解放された。1819年には自分の会社を設立し、人気のある伝記本にイラストを提供することでその名を挙げた。当時の指導者の肖像画を描いた。サウスカロライナ州選出アメリカ合衆国上院議員ジョン・カルフーンなど指導者からの支持を得て、1844年にクリスチャン・ゴブレヒトが死去した後に、アメリカ合衆国造幣局彫師主任の指名を得ることになった。
彫師主任としての初期には、フィラデルフィア造幣所は支配人のロバート・M・パターソンと貨幣鋳造主任フランクリン・ピールが支配していた。連邦議会が新しい1ドル金貨とダブルイーグル金貨の発行を命じ、どちらもロングエーカーがデザインした後で、ロングエーカーとこの二人の諍いが発展した。ピールとパターソンはロングエーカーを解雇する寸前までいったが、ロングエーカーは財務長官のウィリアム・メレディスを説得してその地位に留まることができた。パターソンもピールも1850年代初期に造幣局を去り、抗争が終わった。
1856年、ロングエーカーは飛ぶ鷲文様・1セント貨をデザインした。このデザインでは鋳造が難しいことが分かると、ロングエーカーは代案を用意しなければならなかった。それがインディアンの顔・1セント貨であり、1859年に流通を始めた。ロングエーカーがデザインしたその他の貨幣としては、銀ニッケル・3セント貨、盾文様ニッケル・5セント貨、同じく盾文様・2セント貨があった。1866年から1867年、ロングエーカーはチリの貨幣をデザインし直した。ロングエーカーは1869年の元日に急死した。その後任はウィリアム・バーバーとなった。ロングエーカーの貨幣は概して今日の評価が良いが、芸術的な進歩が無いと批判されてきた。