シェフィールド・ルール
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シェフィールド・ルールズ(英: Sheffield Rules)は、イングランドの都市シェフィールドで1857年から1877年の間に考案されプレーされていたフットボールのコード(法典)である。この規則は初めにシェフィールド・フットボール・クラブによって作成、改訂され、1867年にシェフィールドフットボール協会(英語版)が設立されると規則に対する責任は協会に受け渡された。シェフィールド・ルールはシェフィールドの街を越えて、イングランド北部(英語版)やミッドランズ(英語版)のその他のクラブや協会に拡がっていき、1860年代および1870年代の間で最も人気のあるフットボールの一つとなった[1]。
1863年、新たに結成されたロンドンを拠点とするフットボール・アソシエーション(フットボール協会、FA)が独自のフットボール競技規則を発表した。1863年から1877年までの間、FAの規則とシェフィールドの規則は共存し、折に触れて互いに影響し合った。シェフィールドとロンドンの間で、両方の規則を使った試合がいくつかプレーされた。いくつかの議論の後、FAが妥協したスローイン規則を採用したこと受けて、シェフィールドフットボール協会がFAの規則を採用することを投票で決めたことで、1877年に2つのコードは統一された[2]。
シェフィールド・ルールは現代サッカーの発展に重要な影響を与えた。とりわけコーナーキックとファールに対するフリーキックを競技規則に導入した[3]。また、フェアキャッチを廃止したことにより、シェフィールドのクラブの選手は初めてボールをヘディングするようになった。シェフィールド・ルールの下で行われた試合は、ヘディングの開発やゴールキーパーおよびフォワードのポジションの起源としても認められている[4]。初のクラブ間のフットボールの試合および競技大会はどちらもシェフィールド・ルールの下で行われた。